空飛ぶさんしょううお

北から都会に出て来て根っこのはえつつある、しがない会社員の落書き帳です。ノスタルジックだったり頭でっかちだったりしながら思う存分好きなことを好きな表現で書きます。

悪いこと

煙草を吸わないことと、ピアスの穴を開けないこと。これは、せめてもの親孝行として、守ってきた二つのことだ。自分の身体を傷つけてはいけないと言われ育ってきた。父も母も煙草を吸わない人間だった。親族で唯一煙草を吸うのは父方の祖父だけだった。幼い頃、客人が来たときだけ虎の顔をした硝子製の灰皿がテーブルの中央に並べられた。紫煙、と表現されるそのもくもくとした空気が天井にあたり、跳ね返り、ゆっくりと地に向かって降りてきた。客人が煙を吸い、吐き出すその挙動に一歩遅れて、幼い私の肌や鼻元に煙が下りてきた。母の客人向けの愛想と、そのあとに見せる苦笑いを見て、この煙は悪いものだと感じた。客人が帰った後にも、煙の臭いは部屋にこびりつき、客人の表情や会話を部屋に染み込ませた。私はそれを長年、悪者として忌み嫌っていた。

 

中学生になり、私は優等生を装った悪がきだった。今思えば友人はおとなしい女の子たちより、いたずらや悪いことをする子が多かったように思う。とある日、友人とカラオケに行ったとき、彼女はカバンからポーチを取り出した。さすがに、当時の田舎の公立中学校には化粧ばっちばちの中学生はいなかった。そのポーチの中身は煙草とライターだったのである。彼女は、「ちょっといい?」と言って徐に煙草に火をつけ、その煙草をふかした。逃げられない煙はカラオケボックスに充満し、間もなく私の鼻腔や眼の粘膜に覆いかぶさった。私は友人を受け止めたかった、だから「大丈夫だよ」と答えたのだが、その直後、信じられないほどむせた。吐くのではないかと思うほど、食道や気管支を裏返して洗いたくなるような、それくらいに咳込んだ。友人はそれから、私が大学生になるころまで、私の前では決して煙草を吸わなかった。

 

世の中の喫煙者は減っているという。そう思っていたがために、田舎から上京して、喫煙者の多さに驚いたものだ。大学生はよく、煙草を吸っていた。その煙草を吸う人に影響され、またひとり、ひとりと喫煙者は増えていった。仲間に入る儀式なのか、悪いことをしてみたいだけなのか、喫煙者の輪に足を踏み外す友人を見届けては、いちいち驚き落胆していたことを覚えている。貧乏学生が、400円もする20本の発火体を、1週間だったり、人によっては1日2日で消費する。あの細い棒の先から出る煙は悪でしかない。服や髪の毛にあの独特な燃えカスの臭いがこびりつく。飲み会にでも行ってしまえば、それはもう最悪だ。喫煙者の戯れる安居酒屋に行った帰りには、コートだろうと何だろうと、洗濯機に放り込んだ。洗うのが少し遅れてしまった時には、あの煙と居酒屋独特の脂っこい臭いが他の衣服にも移り、それはもう嫌な気持ちだった。それでも、飲み会を通じて経験する楽しい空間を選んで人との交流を図ってきたわけだ。

 

歳を重ねるとともに、次第に、煙草の空間にも慣れてきた。飲み会に行けば、同じ席でなくても喫煙者はいるし、好きな人が喫煙者であることも多々あった。煙草の種類も少しずつ覚えた。フィルタを下に向けてトントンと叩き、葉の密度を高める人。メンソールの入ったものしか吸わない人。煙草が切れたら煙草を譲り合うシーン。まだ煙草の長いうちに火を消す人。フィルタが燃えそうになるギリギリまで吸いきる人。色んな人がいて、また自分には出来ない経験が楽しくて、人の煙草に火をつけて遊ぶるのも好きだった。

 

人は煙草を吸い始めるとき、どんなことがきっかけなのだろうか。未成年が吸い出すのは、一歩早く大人になるための悪いことをしている感覚なのかと思い、まだ納得がいったものだったが、二十歳を超えて吸い始める人のことはとても不思議に思っていた。どんな気持ちではじめるのだろう。煙草にはそんなに、魅力的な何かがあるのだろうか。煙たくて、歯が黄ばんだり、お金はかかるし、火を持ち歩くのだって危ない行為だ。喫煙者にしか味わえないあの独特なコミュニティの感じだろうか。秘密の空間がそこにある、私にはそのように見えていた。

 

煙草を普通の顔で、普通に吸う人たち。その人たちの横に、何も思わず座っていられるだけ、東京に来てから煙草にはすっかりなれた。しかし私は煙草を吸わなかった。肺に付いたニコチンは一度ついてしまったら取り除けないのだ。髪が臭くなるのも嫌だ。しかし何より、もし私がその紙でまかれた白い筒を指にくわえたとき、鬱蒼とした気持ちに付け入るような悪い気持ちに染められるような気がしていた。そして、その感覚にどっぷり浸かりたい感情に駈られることがあった。かつて、つらい重い悲しい気持ちは早く掻き消したいと思っていた。しかし私は、胸の奥の重たい感触を抱え込んだまま、愛でながら余韻に浸る方法を覚えていた。悲しさは無理矢理消せるものではない。黒い絵の具の上にパステルカラーを塗りつけても決して美しい色にはならない。明度の低い無彩色。そのままで良いんだ。新鮮な悲しみがゆっくりとヴィンテージものになるまで。そのままでいい。悲しみとの同棲の仕方を少しずつ試行錯誤していくうちに、煙草への幻想は次第に膨れ上がった。きっと、今の私にあの煙を掛け合わせたら、私は鬱蒼とした気持ちで悲しみを燻すことができるのではないか。いつの間にか、私はコンビニで100以上もの種類の並ぶ煙草を眺めていた。新製品がコンビニに並べば気づいたら覚えていた。

 

25歳冬。その日はたいそう気の塞ぎ込んだ日だった。ここ数日、私はコンビニのレジ手前にある、煙草になんとなく目が行っていた。経験したことのないこと、そして鬱蒼感への憧れだった。もし、私がこの煙を吸い込んだら、この晴れない気持ちを和らげてくれるのではないか。そんな期待と幻想に脳内を支配されていた。

 

機が熟したかのように、私はコンビニのレジ前で足を止めていた。煙草は、レジの奥にある。煙草の品定めをしようとすると、コンビニ店員と目が合う。100種類以上ある煙草、パッケージこそよく見たことがあるものの、どれが良くてどれが悪いかまでは分からない。店員は不思議なものを見るような目で立っている。そりゃそうである、私は煙草を吸いそうにもない、ぼーっとした印象の顔をしている。まさか煙草を見ているなんて思わないだろう。私は恥ずかしくなって身体を逆側に向け、グミやらガムやらを見ているふりをした。でもその日は、違ったのだ。気分屋の気分で、今日だと決めていたのである。私は、煙草にライターが必要であることも知っている。そうするとライターも探さなければならず、それが面倒であることも知っている。いつもなんとなく眺めていたレジ前に、新製品がライターとセットで売っている。1mgが弱いやつ、ということも知っている。私は考えすぎず勢いでその、1mgの緑色の箱を手に取った。メンソール入りのものだ。店員には、初めて買う人であることはばれていただろう。いや、もしかしたらお使いだと思われていたかもしれない。私は440円を支払い、早々にコンビニを後にした。

 

コンビニのゴミ箱に、早々に表面のビニールとライターとセットに並べるためのパッケージを捨てた。紙の箱の蓋が開く。下半分を覆うビニールは捨てるべきなのか。良くわからないままとにかく中の銀色の紙の、折りたたまれている部分をあけた。半身ずつずれた列をなし、噛みあった状態で、丸くて白い筒が美しく並んでいる。手っ取り早く煙草を掴むため、荒々しく指を突っ込んだ。私はおもむろに煙草に火をつけた。火のつけ方に戸惑う。咥えて火をつけようとするも、ライターとの距離感や火のつけ具合が掴めない。仕方なく、左薬指と中指に煙草を挟み、利き手で火をともす。うっすら、火が付いた。フィルタを通して空気を吸い込むことでより燃えるということに気づくまで、少し時間がかかった。何度か火をつけては思ったほど燃えない煙草を、咥えたり離したりを繰り返した。

 

午前様の時間、人も少ない。歩きたばこもいいだろう。この時間に歩きたばこをする人の気持ちを初めて、なんとなく感じる。一日を終えて全てから解放され、自分という存在に向き合い、思いふける時間だろうか。いや、考えすぎてしまわないように煙で脳を重鎮しているのかもしれない。
実は前述しなかったが、一度だけ煙草をふかしたことがあった。あのとき、煙で肺を埋め尽くさないと吸ったことにはならないということを学んだ。あのときはできなかった。しかし今は、ちゃんと”1mg”のものを買ったんだ。私は咥えた煙草から深く、フィルターごしに空気を吸い込んだ。

 

初めての煙草は、ただただ煙たかった。あの、髪や衣服にまとわりつく空気と同じような味だ。しかし、その中にかすかにメンソールの味がする。ガムやミントタブレットを食べた時の、あの感じに唾液の湿度がなくなったような、すーすーとした空気が口や喉の奥に充てんされる。この煙の味は、苦手だ。紙の燃えた感覚に咳込んだ。

 

次第に、火をつけた側の煙を吸い込んでしまっていることに気付いた。フィルタ越しの空気を一度、口腔内に溜める。煙草を唇から離し、鼻から新鮮な空気を吸い込む。その、色のついていない空気で口腔内奥に留まっている煙を喉奥に流し込む。そしてゆっくり、空に向かって口から空気を放つ。冬といえど、吐息が白くなる時期ではない。そこには明らかに私の肺胞をなめまわしたあとの白煙が空中にあった。私は感動した。私の身体から、煙が外へ出ていったのである。私は、身体に害しかないといわれている煙を、自分の身体に取り込んだのである。

 

これだけ煙草にいいイメージのない状態で煙草に手を出して、自分の身体を自分の意思で穢しているような感覚に恍惚とした。身体を傷めつけたかったのである。25歳となった私が煙草にわざわざ手を出した理由がそこにあった。ほんとうにくだらなくて、理解を求めるには無理のある、お子さまの背伸びがそこにあった。時には、既成の自分をぶちこわすような、新しい自分を無理やり探し出すような行為をしてもいいじゃないか。私は親と心のなかで結んでいだ約束をぶち破った。誰も損も得もしないひとりで決めたバカらしい約束だ。

 

吸っている間、少しずつメンソールの感覚だけを楽しむ方法を模索した。この、紙の燃えた感じさえなければ、これは結構いいものかもしれない。

 

吸殻を、水溜まりに深く刷り込んだ。街灯の淡い小路のなかで、ゆらゆらと輝いていた橙色の光はふっと姿を消して、代わりに燃え尽きた灰色の煙が少しだけ姿を見せて、それもまた直ぐに消えた。薄紙で巻かれたフィルタだけになったそれを手に持ったまま、確実に濡れているのを確認して、外のゴミ箱に捨てた。

 
 
151215