空飛ぶさんしょううお

北から都会に出て来て根っこのはえつつある、しがない会社員の落書き帳です。ノスタルジックだったり頭でっかちだったりしながら思う存分好きなことを好きな表現で書きます。

花柄が好きで、見つけると自慢したくなる話

ガラス越しに好みの服を見つけると、つい店舗のなかに足を踏み入れてしまう。

特に花柄が好みだ。ボタニカルのようなはっきり主張するよう好きもいいし、淡く印象派の絵画のような色合いも心を惹かれる。小花が散りばめられた柄も良い。出来れば、何の花か判別がつくくらい主張を持った絵柄がいい。

しかし、仕事柄なかなか派手な洋服は着られない。せめて無地だ。土日も疲れて籠る日が増えたし、積極的に着ないと日の目を見ない服も増えた。そう思うと少ししゅんとして、ハンガーで吊るされた白やベージュの服の前身ごろ後ろ身ごろを延々とひらひらひっくり返して眺めるのである。

それでもやはりかわいらしい柄ものに目が入る。特に好みの服は手に取り、鏡の前で身体に合わせて見る。もこもこのダウンコートの上で春物の花柄に凹凸が生まれる。ようやく、人間と一体になった洋服は生命をもつ。人間そのものになる。そこではじめて、似合う似合わないを考える。柄は好きだけど型が合わないもの、きれいな柄だけど私が着るとちぐはぐするもの、そんなものも一杯ある。

花柄がいくつかあると、身体に何度かあてたあと試着しようかを迷う。よく、試着室でそっと写真を撮って、どちらが良いか母にメールしていたな、と思い出す。

だいたい、どちらもかわいいんでしょ、と返事が来る。メールだけど、イントネーションは地元の訛りで、ふたつめの「い」辺りが、アクセントだ。だいたい最後にニコニコしたデコメールの小さなアニメーションが入っている。機種にはじめから入っているものだけじゃなくて、たまに新しく買ったりしていたようだ。私の携帯には入っていない絵柄がよく送られてきた。

センスよくなったね、お母さんの趣味に似てきたね、なんてコメントがたまに来ることもあった。小さな頃から昔ながらの花柄に囲まれて育った私も、やはり同じような柄が好きだった。私の趣味のほうが少し今時寄りだったけれど。

そうやって、私は母にたくさんの写真を送りつけた。今日これを食べたよ、こんなことをしたよ、こんなものを買ったよ、こんなライブをしたよ、会社で表彰されたよ、そんなメールをすると、おいしそうだね、楽しそうだね、演奏聴いたよ、偉いね頑張ったね、って、メールが返ってきていたんだ。

途中から気づいていたんだ。はじめは実家でひとり待つ母に楽しんでもらおうと送っていたメールも、私が誰かに認めたり褒めてもらいたくて、そのための話題を懸命に探していたことも。

そして、私が認めてほしい通りに全部受け止めてくれたことも。

メールの相手がいなくなって寂しい、父もそう言っていたが、きっと母は私も父も甘えさせてくれていたのだろう。

花柄を見ると、試着をして母にメールをしようかな、と考える。そしてすぐに、もう返事は来ないんだと思い出す。もうあのメールアドレスは止めてしまっているのだろうか。



(何を書いても母の話にしてしまうが、私なりに喪に服したいのでお赦しいただきたい)

160303