空飛ぶさんしょううお

北から都会に出て来て根っこのはえつつある、しがない会社員の落書き帳です。ノスタルジックだったり頭でっかちだったりしながら思う存分好きなことを好きな表現で書きます。

海辺の駅、海辺の空

みなとみらい線の駅は、何となく鬱蒼としている。
海辺の街に来るには少々薄着すぎた。雨の予報を確認したにも関わらず傘を置いてきてしまった。名刺を切らしかけていることが本日の憂鬱さに拍車をかける。

昨日の残りかけの飲み物が、鞄の容積を圧迫する。ホームのごみ箱を見つけ、足を止めた。勢いよく顎を持ち上げ、ぐいっと残りの飲み物を飲み干す。缶とペットボトルは、別々に捨てるように入り口が分かれている。しかし、その先でひとつのごみ袋へと再度集約されることを知っていた。入り口を覗きこんで、真ん中にパイプの仕切りがなければ、分別したあとに再集約するという、浅い善意の無駄遣いが起きることは容易に確認がとれる。ペットボトルの蓋を閉め直さないまま、少しだけ空中で弧を描くように本体と蓋を投げ入れた。

暗い階段を上り踊り場を180度振り返ると、急に外の明かりが地下からの道に差し込む。海辺の湿り気のある、一様に薄灰色の空がどんよりと待ち構えているのが見える。気の沈むような空は、よく眺めるといつもの天井のない空間を作り上げていて、不透明な白濁色は手で掴めそうだ。掴めば、手指の隙間隙間から、半固体がどろどろとねじりだされそうな、そんな粘度のものが空にあるのではないか、といった妄想や夢に近いものに駈られる。もしも空が掴めたら、掴めたところで何も起こらない、ただ本能のような生理的欲求に近いような、理性も何も捨てたような感覚に入り浸っていたい。


打ち合わせも無事に済み、変わらず厚い霧のような空は、光が幾ばくか柔らかくなっていた。自分の感情を高くぶちまけたようだ、と傲慢にも共感を持ち始めたにもかはかわらず、少し諦めた笑顔を向けられた気がして裏切られたかのような気持ちになった。

シャーデーのアルバムのマイナー調が、車窓の気だるい空気に下手(したて)に出るように澄みわたり、染みた。同じようなビートの、同じような曲調を奏でているように聞こえるにも関わらず、重ねて聴くと曲や歌詞や特徴が際立ってくるから不思議だ。

人は、嫌いでも不馴れでも、刷り込まれ続けることで慣れたり好意を抱いたりする。その、惰性で人の評価が変わることは大嫌いだ。本質を欠いた、長年の付き合いだから許されたり認められたりする人間関係が。


ーー脳内の連想の連鎖は、穏やかな感情を掻き乱してしまう、それが本当に好ましくない。不快である。


横浜駅まで歩くことにした。途中の洒落たパン屋で、中身のたんと詰まったクリームパンを買った。215円を出して53円のお釣りをもらおうとしたら、165円があった。店員さんが、215円お預かりします……あ、165円お預かりします、と答えた。一瞬、脳内の声が伝わったのかと思った。銀色の硬貨を見間違えたのであろう。
さて、いくらだったでしょう。良いことがあったとしたら、これくらいだ。



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