空飛ぶさんしょううお

北から都会に出て来て根っこのはえつつある、しがない会社員の落書き帳です。ノスタルジックだったり頭でっかちだったりしながら思う存分好きなことを好きな表現で書きます。

実現性ゼロの脳内シミュレーション

世の中は皮肉だらけだ。

思い通りにいく妄想だけをひたすらして、極めた結果通りにすんなりいくことなんてあり得ないのだ。そのギャップに毎度落胆して、無力で憧ればかり強い自分を忌み嫌う。それでも、脳内シミュレーションは止められない。美しいドラマの中の主人公になりたい。理想でいうなら、優しく注ぐ笑顔が端麗な女性になりたい。ストーリーは悲しくても良い。涙をきれいに流す女性でありたい。口数の少なく、押しとやかな、か細い女性になりたい。しかしそれは叶わないのだから、頭のなかでせめての自分から描ける最高のストーリーの草稿を何度も書き直す。熟成され、濃縮され、ディテールはさらに細かくなり、その代わり不要な描写はどんどん消される。最高の仕上がりと類似した場面に出くわしたとき、私は驚くほどシャイで天の邪鬼だ。ひねくれた気持ちで、思った通りの運びに出来ない。所詮実現を求めたシミュレーションではない、ただの妄想なんだ。練り倒した発想は、実現しなくても良い。満足してしまうのだ。実行する前に、疲れる。

だから私はずっと、誰にもばれずに小さな主人公を続けられるのだ。


160426

初夏の装い

ツツジはどうして、こんなに群れるのでしょうか。

道路と歩道との間の一角に、ビルの壁沿いの小さな花壇に、桜が八重も散りきる頃、赤紫のビビッドカラーを全力で振り絞るその垣根はあります。少し前の淡い桜の桃色と対照的なその色から、生命たちのバイオリズムの変容の刺激をおぼえます。往々にして群れを成して咲き、明るく鮮やかな緑の葉とピンクと呼ぶには毒々しいその花は、割合等しく顔を空を向けて、犇めくように窮屈そうに、激しい自己主張をぶつけあうのです。

その様は、周囲への配慮を欠き、我よ我よと頬が潰れ合うほどなのだけれど、互いに譲るということを知らず、開花し散るしかないという本能に逆らえぬまま、ひとつの季節を彩り、自然の夏へ準備する意欲を、買わざるを得ないのです。



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160426

強いよね、ってなんだろう?

ーーほんと強いよねー、精神的に。大人だね。

強いね、と言われると途端に切なくなる。
何故なら、強くはないからである。

素直な気持ちを表現したり、意見をぶつけあって口論になったり喧嘩したり、アイデンティティが崩れるようなリスクを避けてきただけだ。
言わなければならないことや言いたいことは徹底的に穴をしらみつぶしにして、それでも正しいと判断したときに初めて口にする。弱さを見せる隙を最大限に排除して綺麗な自分だけを見せる方法を模索する。そうやって自分の牙城を守り抜いてきただけなのだ。

そもそも「強い」とは何なのか。これは若い頃からずっと考えてきたことだ。私から言わせてみれば、弱みを見せられる忍耐力の方が、逆説的だが、よっぽど強い。弱さを大切な人や友人だけでなく、誰彼構わず伝えることに、何の意味があるのだろう。人はなぜ、人前で泣くのだろう。目の前の人が困惑することが分かっているにも関わらず。

それをずっと、次の二つの理由のためだとと思ってきた。ひとつは、涙を利用して同情や赦しを乞うこと。もつひとつは、そもそも目の前に存在する人々への配慮に欠けている思考の浅い状態であること。

私はどちらにもなりたくなかった。場の空気を呼んで、気を利かせて、私を起点には、誰も不安にならないこと。むしろ誰かが起こした不安も掻き消すこと。

そうやって、誰かの感情のむき出しをひどく避けてきた。それを強い、と言うのだろうか。私にはよく分からない。


160421

昔、とても大切にされていたストライプの靴

ずっと頭の片隅にあって、センチメンタルに浸りながらだらだらと文字にしたためたいと思い続けていたのに、そんな気持ちの余裕も持てず、ただ心を亡くした日々を消耗しながら、1カ月くらいが経ってしまいました。

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スエードの、斜めのストライプ柄の靴。
実家で眠っていた靴だ。

有名なブランドの靴で、自分で買ったことのないようなものだった。
きちんと、白くて艶やかな箱に、大切に仕舞われていた。
幅の狭い方の側面には、懐かしい文字で、靴の柄と特徴が判る絵が描かれていた。
私はその靴を手に取った。

きっと何十年も前の靴だ。私はその靴が玄関先に並んでいるのを見た記憶がなかった。
ーー押し入れで眠っているくらいなら、履いた方が良いんじゃない?
私は勇気を振り絞って、その靴に足を入れた。靴底は大変華奢で、歩くとタップダンスをしているかのような朗らかな軽い音がした。地面が分かりそうなほど薄い靴底なのに、足元にくすぶる冷気を通すことは全くなく、むしろ温かかった。この靴は、大切に扱われてきただけでなく、長い間美しく居られる所以を、もっているようだった。

フラットな底ながら、私の足を上品に彩ってくれた。それはもう、大切に履こうと思った。
がさつで慌ただしい私だけれど、物を大切にしよう。小さなところから大人になろう。女性らしく、なるんだ。この靴を履くだけで、何十年も前に全身洒落た服装で輝かしく過ごしていたであろうその人を妄想した。きっと、とてもモテたであろう。若かりしころ、きっと美しかったであろう。何となく私はこの靴を履く日、ウキウキしながら過ごすことができた。

その日もきっと、優雅に過ごすつもりだった。とはいえがさつな私がすぐにおしとやかになれる訳でもないし、幼い頃にバレエを習っていたせいでとても足の甲が高く、すぐにスエードの生地に皺が入ってしまったが、依然として他の靴たちとは違う、威厳のような堂々とした振る舞いをしていた。

その日もまた、会社を出るのが遅くなった。出張から都内に戻り、家ではなく会社へ向かったのだ。会社にいる時間が短かったせいか、あっという間に時が過ぎたように感じた。全然終わらない、全然足りないのだ。

終電の時間だ。これは、走らないと間に合わないかもしれない。
仕方なく、走った。ペチペチと甲高い音が足底から響き上がってくる。かつての持ち主に怒られる気がする、大切にしないで、無茶な履きかたをして。私のせいでこの靴が壊れたら。押し入れでスヤスヤと寝息を立て続けるのと、少し窮屈な思いをしながら外の空気を吸い込むの、どちらが幸せだった?私が履いて良かったのかな?これで本当に良かったのかな?

この靴は走るための靴ではないし、不格好に走りながらも進む速度は遅かった。
ただ、持ち主に想いを馳せて静かに何度も何度も呼んでみた、答えを知ることは出来なくて、ただ涙が溢れた。風を受け、頬から耳の下に向けて滴が伝った。誰に甘えるでもなく、目の前のちっぽけな夜景に、ただ心のなかで叫び続けただけに過ぎない。

電車に間に合い、ビジネス街の電車は、飲み屋の数に合わせて混み方が変わる。ようやく座ることが出来たとき、少しだけ皺の入った靴の甲を手で撫でる。ごめんね、って。皺に入り込んだ細かな埃は、少しとれて目立たなくなった。すると、私はほっとしてしまうのである。

160412

現実は理想みたいなドラマの美しさを持たない

目の前には淡々と過ぎていった事実しか存在しない。その出来事をどうとらえるかは自分次第だ。

コンサートでホールでの演奏聞かせてあげられてよかったじゃないか。おいしいお土産、毎回たらふく買って帰ったじゃないか。どこかに行けばその写真を送ったじゃないか。ライブの録音、いっぱい送ったじゃないか。2カ月に一回帰って一緒にたくさん時間を過ごしたじゃないか。余命あと少しと言われてから2年も、一緒に時間を過ごせたじゃないか。

奇跡なんて存在しない、今から突然回復することなんてない。むしろ奇跡であれば2年も自宅で猫や家族と過ごせたことが奇跡だった、そう思おうじゃないか。

誰だって必ず経験することなのに、どうしてこんなにも悲しいのだろうか。どうして居なくなることをマイナスにしかとらえられないのだろうか。

果たして一生として、これは不幸だったのだろうか?事実を受け止めた上で、思い通りに過ごせていたのでは?じゃあなんで、私は悲しい気持ちなのか?苦しそうで痛がっているから?今はそうだとしても、全体で見たら正解だったのでは?本人が幸せであることが私にとって幸せなのでは?なんで笑顔でいてあげられないんだ?
そんなことをぐるぐると1カ月近く考えていた、うまく眠れない日もたくさんあった。

上京して8年。地元を離れると決めたときから独りっ子の私はいずれこういう状況に陥り、こんな気持ちになると腹をくくってきたつもりだった。

目の前で、もうどうすることもできないということがあるなんて、こんなにめざめざと突きつけられたことは無かったかもしれない。

孫を見せられなかったのが悔い、そう言ってみたら握った手を軽く握り返してくれたけど何もできなかった。

思っていたのと、違った。
ドラマで描かれるような、窓からの優しい木漏れ日のなか、穏やかな表情で、静かに最期のひとことを吐き出し、多くの家族に見守られ、すっと息を失うのかと思っていた。
さいごに、何か言いたいことを聞けて、それを胸にしまっておけるものだと思っていた。いまの状態ですら、それが無理なのは明白だった。


私の誕生日の翌日、母は倒れた。
朝、電話がかかってきて、弱々しい声で他愛もない話ばかりした。まともに会話と言えるようなものはそれが最後だった。

ここ数カ月で、返ってくるメールの文章もどんどん短くなった。返事が来ないことも増えた。
秋頃には本当に忙しくて、たまにのメールもなかなか出来なかった。
出来る限りのことはしてきたつもりだし何かを後悔をしたくはなかった、それでも、具合が悪くなり出した11月頃にもっと話したりできていたらというのは心残りだ。

目の前で苦しそうにしている姿を見て、早く楽になってほしい気持ちと握っている手から体温がなくなってしまう恐怖とで揺れた。それがいつであっても、私が思いを馳せたキッチンで料理をする母の姿はかえってこない。それだけは確実なのはわかっていた。頭のなかで何回も再現した、もしかしてそんな出来事なかったかもしれない、でも夢にまで見た姿を消したくなくて何回も再現した。

病床の母からはその、かつての姿はたどれなかった。頭のなかの残しておきたい記憶に上書きされそうで怖かった。

病気とは思考も歪んだものにするらしく、看病した父や時に私にも攻撃的な言葉を放った。一緒にやりたいこと、もっとあったよなぁ。せめて話したいこと、もっとあったよな。話続けると怒りそうで、話せる感じではなかった。私はいつも要らない空気を読んでしまう人間だった。なんでこういうとき、すらすら他愛もない話ができないんだろう。母の言葉にはいともいいえとも言えなくて、攻撃的な目線や言葉をただ受け止めるしかなかった。

看病も、飲み物を飲ませたり、さすってあげたりはできても、もう手を握るしかできない。もう、ただ淡々と、受け止めるしかない。何回も言い聞かせては、ただ現実からの衝撃をどれだけ軽くするかに努めていることは自分でもよくわかった。今が長引いても誰も幸せになれない。全員辛い。

もっと、自然の摂理として受け止めたいのになんでこんなに悲しいんだろうか。言いたいことも伝えられないでいるだろうか。汲み取ってあげることも出来ない。もっとやりたいことがあったのではないだろうか。

金曜日、あわてて仕事も中座して帰ってきたとき、足取りは重かった。間に合わないかもしれなかった。絶対、自分の目で、見届けたかった。一秒でも早く行かなければならないのに深呼吸が必要だった。緩和ケア病棟は山の上の上のほうにあり、すでに暗がりの病棟を進みながら何度も足を止めた。冬の特急はいつも通り遅延していた。しびれをきかせた父から不在着信が入っていた。その通知を見たのが病室まであと少しの距離、改めて深呼吸をしてキャリーバッグを引きずった。

間に合った。息も絶え絶えで父と伯母がベッドを囲んでいた。呼び掛けると、聞き取れるか聞き取れないかの滑舌で名前を呼び直し、少しだけ手を持ち上げた。その手を頬にあて、擦り付けるかのようにして泣いた。

母の、それ以外の部分の身体の丈夫さは皮肉だった。私が帰ってきてからも、息を絶え絶え過ごしている。もう攻撃的にできない母に、私は急にたんと話しかけた。努めて明るく接したのに弱っているからなにもできない人をいじめているみたいで、弱いものいじめの逃げ虫みたいでとても嫌だった。



160131 +改

インターネットとクロール

目の前には分からないモノだらけだ。
 
そこには膨大な情報があり、そこにある物体が何なのか、私の中で完全体として彩色するために膨大な空間から絞り込むためのキーワードを放り込み、そうすると情報はいくつかは呼び出されるけれどもそれでもまだ多い。そこから自らの思考で必要だと判断し組み合わせて、最初に書いたアウトラインにピースを嵌めこんでいく。時にその輪郭は初期設定を誤っていて、構築のし直しを繰り返す。時折カタチになりきらないモノがある。探っても探っても、知ることのできないものがあるのだ。どれだけパーソナルな領域に潜り込み、そのモノが生み出したもの、関わりを表明したものを読み漁っても、それは表面の飾りつけにしか過ぎず、ヒントにしか過ぎない。自分が知りたい真理に至るには、本当は直接確認をしに飛び込まなくてはならない。しかしその確認が、作業として必ずしも欲しい解を生み出すとは限らない。場合によっては、何か薄気味悪がられたり疎まれたりして、解を探す手立てを失うこともある。方法を見極めなければならない。とはいえ慎重になりすぎると、結局何も知ることが出来ない。表面を掠るだけの情報だけ山ほど出てきて、そのモノがなんなのかを自分なりに知ることは永遠にできない。
 
相反する感情として、“知り切りたくない”という思いもある。ずっとブラックボックスであってほしい。掴もうとしたら、手のうちから滑り落ちてほしい。どうか手に入らないでほしい。永遠に憧れつづける対象でいてほしい。分かりすぎることが失うことに繋がりそうで、一線を荒々しく、はっきりと引いてしまう。それは釣れる可能性のあった獲物なのに、危険を察知して逃げて、二度と近づかないかもしれない。そうすると私は分かりたかった真理を得る機会を二度と失うのかもしれない。しかし、それが本当に一生もう訪れない機会なのかすら、現在を生きているうちは分からない。分かってはいけないし、分かってしまう=“知り切ってしまう”と急に興味を無くす。
 
自分で自分が本当に面倒くさい。知りたい衝動とそれに基づいたクロール行為、一方、近づきすぎると力づくで離したくなる感情、どちらもが強いと、精神的に破綻することがある。自分は、どうしたいのか。しかしその全ての出来事を俯瞰的に見て楽しんでしまっているのであればもう、どうしようもない。自分が苦しい姿を自分で楽しんでいるわけなのだから。それに気づいたときはもう、諦めて自分を放っておくことにする。考えることはやめる、その瞬間に流れてきた今をただ消化し続けることにする。そうすると一気にラクになる。そして楽しくなる。でも、瞬間を消化することが中毒化すると、結局は全体像を見失う。
 
 
最近「数年後どうなりたいとかって、あるんですか」なんて聞かれてしまうことがあった。とハッとした。放棄してきたことだったからだ。

太く、短くで良いんじゃないの。じゃあ、今を考えすぎないで何事ももっと気楽に接したらいいんじゃないの。そしたら、得られるものもあったんじゃないの。今しかない若さ、明日には失うかもしれない興味、ひとつひとつを思う存分味わったら、すぐ吐き捨ててもいいんじゃないの。
 
そんなていたらくで得られたものって価値があるの。その場で流されて、流れ込んできたものばっか鵜呑みにして太くなった人生なんか、意味があるの。悩み苦しんで、その時期は醜態をさらけだしつづけたとしても、大成すれば良いんじゃないの。だったら、まだ若いんだから諦めずなんでもやってみたらいいんじゃないの。
 
やはり気持ちは相反する。正しいかどうかはわからない。このふたつに恐らく、私は解を出さない。その消極性により、いずれにせよ消去法で「瞬間の消費」の状態になってしまっている気がするけれど。
 
 
そうしてこの、机でひとりで誰にも詮索されずにできる行為をついときたま実行してしまう。それっぽいキーワードで、自分の手のうちにあるこのデバイスが呼び出せる、膨大な情報量を過信して、知ろうとして、結局分からない。どうあがいても分からないモノに、なんだか感情が高ぶって目に涙が浮かんだりする。その涙の事情は自分でもよく分からない。結局自分という身体に入りこんだ自分という感情体は、良く分からない。
 
検索ボックスに入力したキーワードを消すと、ブラウザ内の画面は真っ白になる。
いちからのスタートに辟易して、タイピングの手を止める。
 
 
160306

花柄が好きで、見つけると自慢したくなる話

ガラス越しに好みの服を見つけると、つい店舗のなかに足を踏み入れてしまう。

特に花柄が好みだ。ボタニカルのようなはっきり主張するよう好きもいいし、淡く印象派の絵画のような色合いも心を惹かれる。小花が散りばめられた柄も良い。出来れば、何の花か判別がつくくらい主張を持った絵柄がいい。

しかし、仕事柄なかなか派手な洋服は着られない。せめて無地だ。土日も疲れて籠る日が増えたし、積極的に着ないと日の目を見ない服も増えた。そう思うと少ししゅんとして、ハンガーで吊るされた白やベージュの服の前身ごろ後ろ身ごろを延々とひらひらひっくり返して眺めるのである。

それでもやはりかわいらしい柄ものに目が入る。特に好みの服は手に取り、鏡の前で身体に合わせて見る。もこもこのダウンコートの上で春物の花柄に凹凸が生まれる。ようやく、人間と一体になった洋服は生命をもつ。人間そのものになる。そこではじめて、似合う似合わないを考える。柄は好きだけど型が合わないもの、きれいな柄だけど私が着るとちぐはぐするもの、そんなものも一杯ある。

花柄がいくつかあると、身体に何度かあてたあと試着しようかを迷う。よく、試着室でそっと写真を撮って、どちらが良いか母にメールしていたな、と思い出す。

だいたい、どちらもかわいいんでしょ、と返事が来る。メールだけど、イントネーションは地元の訛りで、ふたつめの「い」辺りが、アクセントだ。だいたい最後にニコニコしたデコメールの小さなアニメーションが入っている。機種にはじめから入っているものだけじゃなくて、たまに新しく買ったりしていたようだ。私の携帯には入っていない絵柄がよく送られてきた。

センスよくなったね、お母さんの趣味に似てきたね、なんてコメントがたまに来ることもあった。小さな頃から昔ながらの花柄に囲まれて育った私も、やはり同じような柄が好きだった。私の趣味のほうが少し今時寄りだったけれど。

そうやって、私は母にたくさんの写真を送りつけた。今日これを食べたよ、こんなことをしたよ、こんなものを買ったよ、こんなライブをしたよ、会社で表彰されたよ、そんなメールをすると、おいしそうだね、楽しそうだね、演奏聴いたよ、偉いね頑張ったね、って、メールが返ってきていたんだ。

途中から気づいていたんだ。はじめは実家でひとり待つ母に楽しんでもらおうと送っていたメールも、私が誰かに認めたり褒めてもらいたくて、そのための話題を懸命に探していたことも。

そして、私が認めてほしい通りに全部受け止めてくれたことも。

メールの相手がいなくなって寂しい、父もそう言っていたが、きっと母は私も父も甘えさせてくれていたのだろう。

花柄を見ると、試着をして母にメールをしようかな、と考える。そしてすぐに、もう返事は来ないんだと思い出す。もうあのメールアドレスは止めてしまっているのだろうか。



(何を書いても母の話にしてしまうが、私なりに喪に服したいのでお赦しいただきたい)

160303